瀧井利作と瀧井りゃう

利作とりゃう
昭和18年ごろ撮影された瀧井利作とりゃう

 

2013年2月21日に瀧井(瀧井利作の孫)さんのお宅に伺いタキイ輪店を発足させた瀧井利作とはどういう人なのか、その人となりを聞きにいきました。以下はそのうかがった内容を要約したものです。

私川上正夫の曽祖父の瀧井利作は私の祖父、瀧井康次郎同様に基本的に何もしゃべらない人だった。ただ、何もしゃべらず行動に移す人だった。

晩酌をする人で、一晩に日本酒の一合も飲み、タバコも吸った。キセルの先にタバコを挿してなんとなく吸っていたそうだ。

鮎釣りの解禁日を心待ちにしていて、解禁日にその日に一回だけ釣りに行く。あとは行かない。

私の母、川上葉子の利作との釣りの思い出だと、母が幼いとき一緒に沼に自転車に乗って釣りに出かけて気づいたら母は寝てしまったかどうかして、家にいて釣った魚が何匹かたらいに泳いでいるということがあったらしい。

たとえば見ず知らずのおっかない人がいると、みんなは近寄らないところをあえて水をやって「二杯でも三杯でも飲んでけー」という人だった。

言葉には出さないものの、みんなが面倒にならないように、後でガラガラ言われないように、ちゃんとまとめておけば気分が違うから、小さくまとめておいてくれる人だったそうだ。

人を動かすときは、難しい言葉を使わず、お風呂にはいる順番で皆がもめているときなど、子供っぽく「お風呂はいるのだれだっけー?」みたいに言って皆が和むように心を配る人だった。
自分だけ好きでいい。あんたっちは好きにやればいいは違うという思想の持ち主だった。

瀧井りゃう(読み方はりょう)は、浜松の繁盛していた薬屋のお嬢さんで、静岡の利作の元に嫁入りしたときに家政婦さんもついてくるほどのお嬢様の雰囲気で、お茶や華道、お琴、日本舞踊などいろいろな習い事をしていた。
とくに踊りが好きで、利作とは対照的に外に出るのが好きで、炊事洗濯は家政婦任せだったという。掃除は出来きた。家事仕事はお湯も沸かせたそうだ。
赤子をあやすのは難しく、私の兄(当時赤ん坊)を抱きかかえる方法を知らなかったらしい。

 

2013年2月23日
タキイ輪店

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